- 日月裕「医療における複雑系」(『新たな病院原価計算を創る:複雑系との対話』(田原孝, 平井孝治, 日月裕. 講談社エディトリアル)第Ⅲ部)を研究成果において公開いたしました。(2025.01.03)
- 「研究成果」のページを公開いたしました。「記事」「研究ブログ」「アーカイブス」については、現在構築中です。 (2024.12.12)
- Webサイト「IRYOU: complex world 医療は複雑な世界である」を公開いたしました。(2024.12.10)
ホームページ「IRYOU」の意図するところ
行動には前提や意図があり、事実に先立つ前には概念がなければならない。新たな概念が生まれることにより、現象や世界の見方が変わり、それまで分からなかったことが筋道を立てて理解できようになる。このような創造性は、異なる分野との接触や具体的な事象を概念的に捉えることから始まる。
このホームページを「IRYOU」と名付けたことには重要な意味がある。「IRYOU」という言葉により、従来の「医療」や「Medical」とは異なる固有の意味をもたせることを意図している。
医療とその研究には、いくつかの問題がある。その一つは、現代の科学、特に医療、看護や福祉の領域では、「evidence based medicine」の言葉で象徴されるように、事実や事実の実証のみを最優先し、実証できないもの、測定にかからないものを重要視しないことである。これは、現在の医療、看護、福祉が、その基盤となす考えを要素還元主義に依拠していることを表している。
要素還元主義は「複雑な物事(人間、医療など)でも、それを構成する要素に分解し、それらを単純に総和すれば全体が理解できる。」という考えである。しかし、人間や生命はそれを構成する部分の総和以上の統一された存在である。この考え方は、医療、看護、福祉に内在する決定論的カオス(以下、カオスと呼ぶ)の本質に由来するものである。そして、生体におけるカオスは普遍的な現象であり、健康な身体はカオスである。
「IRYOU」という言葉には、このようなカオスの考えや知見、それに依拠した健康観(Homeodynamics)を基本として、従来の医療、看護、福祉等のヒューマンサービスの領域に、意識的に新たな対処方法を創発するという意図を含ませている。
カオスは古くはポアンカレ(Jules Henri Poincare)に始まるが、1960年代、ローレンツ(Edward Lorenz)による地球大気のモデルがカオスであるという発見によって、注目されるようになった。それ以来、カオスの考え方や理論、それを応用した多くの研究がさまざまな分野で行われ、医療、看護、福祉のヒューマンサービスの領域でも適用されてきた。しかし、多くの努力にもかかわらず、克服すべき理論的な問題や実践に適応するための問題が数多く存在している。それらの解決には今後も相当の工夫と努力と日時を要すると考えられる。
もう一つは、医療に限らず研究全般に関する事柄である。それは論文公開に伴う現状のビジネスモデルの問題である。論文の専門誌への投稿や掲載時の著者への経済的負担(Publication fee)には過大なものがある。また、査読者への劣悪な処遇により優秀で誠実な査読者が失われていることも重大な問題である。これらは科学的な知の蓄積の劣化を速める。
このような問題意識を背景にして、「IRYOU」は、その解決として、数値解析やシミュレーションの高度化、理論の深化や新たな概念の創造、さまざまな分野へのカオス理論の適用、複数の視点から現象を解明するための異なる分野の研究者による共同作業による研究成果や解析ツールの公開や共有等々を試みることを考えている。
これらのことは、系の外側からの観測を超えて系の内側から世界を観る試み、いわゆるEndophysicsや、個々の知識や技術を集団で統合することで集団の相互作用や協力によって新たな知見や解決策が生まれるとするCollective Intelligenceの可能性を探ることにもなるであろう。
これらの取り組みを通じて、多くの方々がこのホームページを活用して、カオス力学系、複雑系をはじめとする新たな概念や研究が一層進展し実世界のなかで、特に、医療、看護、福祉等のヒューマンサービスの領域での応用が広がる場となることを目指している。そして、このような場は、自由な論文公開の新しいモデルの発展にもつながるものと確信している。
2024年7月
発起人 日月裕 星雅丈 岩永浩明 田原孝
(文責 田原孝)
このホームページは医療と複雑系との関係を論じることを目的としたものである。
医学・医療は複雑系である。複雑系と言っても、医療に関係する複雑系には色々なレベルが存在する。医療自体が多くのレベルが存在する。分子レベル、細胞レベル、組織レベルの医療。されにその上には体全体のレベル、さらに集団や社会としてのレベルが存在する。これら、医学・医療のレベルに合わせてそれぞれの複雑系が存在する。
生理学、細胞のレベルでは微分方程式などの力学系的な表現が可能である。そのため、そこに現れる複雑系にはカオス力学系としての性質や表現が見られる。心拍の揺らぎ、指先の血流変動を表す指尖脈波(指尖容積脈波)の波形の揺らぎの中に見られるカオスなどがその代表である。そのほかにも、目の瞳孔径の揺らぎ、心音波形などにもカオス変動が見られる。
集団や社会医学が問題となる局面ではベキ分布を中心とした統計的な性質と統計的は表現による複雑系が存在する。病名頻度や入院日数においては裾野の長い分布が見られる。これらは、集団や社会医学における複雑系の表現である。
従来、医学概論など「医学とは何か」を問題とする分野では、医療の不確実性というものが問題となっていた。治療、診断が確実ではなく医療過誤が起こるのも、医療の不確実性がその背景に有るためであると考えられている。医療が不確実である原因については、医師のミス、医療システムの不具合なども考えられるが医療そのものに潜む不確実性もあると考える。
元々、医療が確実であるという信念は科学の確実性に由来する。しかし、科学(主に物理)の確実性の背景にはニュートン力学における機械論的決定論的世界観がある。これは、全体を単純なものに分解して考える要素還元主義とニュートン力学における決定論的世界観が結び付いた考えである。ニュートン力学における決定論的世界観とは、「全ての運動体は、その運動体のある時刻における位置と速度を決めれば将来が一義的に決まる」という考えである。ただし、最初の位置と速度に関しては、量子論における不確定性原理にまで戻らなくても、測定精度の点からも、それらを正確に決めることは本当は出来ない。しかし、位置と速度が近ければ、その後の経路も近いに違いないという信念が背景にあったのである。
しかし、この決定論的世界観はカオス理論によって覆された。最初の時刻における位置と速度に小さな違いがあれば、時間と共にその違いが指数関数的に大きくなっていく場合があるという発見がカオス理論である。この理論によって、決定論的世界観については原理的に間違っているということになった。しかし、軌道の予測は出来なくなったが、一方でその軌道には全体として規則性があるということも同時に発見されている。それが、複雑なアトラクターの概念である。従来、力学系の安対軌道は一点と周期軌道だけであった。それに対してカオス理論において周期軌道よりはるかに複雑であるが安定な軌道(アトラクター)が存在することが示された。このアトラクターの性質は固定点や周期軌道と異なり統計的な性質で表す必要がある。
カオス理論は少ない数の粒子(正確には自由度)の運動における複雑な軌道の話である。この小さな自由度を大きな自由度(多数の粒子)に拡張した概念が複雑系であるともいえる。大きな自由度においても、力学系が安定な規則性を生み出す。もっと、一般に多数の要素が互いに相互作用するシステムにおいて、互いの相互作用によってある種のランダムでない性質(規則性、規律)が生まれてくる。このような相互作用によって全体としての性質が生み出されるような系を複雑系と呼んでいる。
このホームページは医療・医学おける複雑系的な性質について論じることを目的としている。しかし、医療の複雑系を論じるためにはそれ以外に、医療そのもの、複雑系を調べるための方法(情報システム)、医療内部の各種の因子(医学、看護学、経営学)についても同時に論じる必要がある。これら全てを含んだ内容になることを期待している。
(2024.04.29 日月裕)